2020.09.04 Friday
車匿童子の悲しみ
『一谷嫩軍記』の「組打の段」に、「檀特山の憂き別れ、悉陀太子を送りたる車匿童子が悲しみも、同じ思いの片手綱」とあります。初めて見た人には意味が分からないでしょうし、また、床本ばかり何千回読み直してみても、分かるようにはならないと思うのです。そこで僭越ながら、私がちょっと解説させていただこうと思います。
「いつか自分自身で分かりたいのだ!」という方は、ネタバレになりますので、読まないでくださいね。
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「悉陀太子」というのは、お釈迦様のことです。若い頃にシッダルタというお名前で、漢字では「悉陀」と表記されます。小国ながら一国の王子様だったので「太子」というわけです。はた目からは恵まれた境遇と思われましたが、ある時に城を出て、出家してしまいます。そして、城を出る時に乗ってきた馬を、途中で城に帰させた。その馬を城まで連れて帰ったのが、舎人の車匿です。車匿と別れる際に、悉陀太子は、身に着けていた装飾品を車匿に渡し、修行のための質素な衣に着替えたということです。
ここまでは、調べれば分かると思うのです。分からないのは、「車匿童子の何が悲しいのか」ということです。どれだけ親しい間柄だったのか知りませんが、親子でもないし、恋人でもないし、別れると言っても、悉陀太子はここで死んでしまうわけではありません。我が子を殺した熊谷の悲しみと同列に語られる意味がずっと分からなかった。悉陀太子と車匿童子は、何か特別な関係だったのでしょうか?それは知りようがありません。
ずっと分からなかったのですが、平成27年2月、歌舞伎座での上演を見ていて、突然、私は分かったのです。「見ながら意味が分かる」というのは、すごい経験です。同じ経験は、あなたにも、いつか訪れるかもしれない。ネタバレになりますので、「いつか自分で分かりたい!」という方は、読まないでくださいね。
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つまり悉陀太子という人は、ここから、悟りの境地に向かって歩み出したのだと思うんですね。彼は苦しみのない世界へ旅立っていったのです。そうして車匿は苦しみの世界に取り残された。
熊谷直実の息子である小次郎も、ずるいことに、先に一人で成仏してしまったのです。死ぬのは嫌だと言っても良かった。逃げろと言った時に逃げても良かった。そうしてくれれば良かったのに、自分が死んだあとの父母のことが心配だと言う以外には、何の未練も示さない。すなわち、もう悟っている。自分は藤の方の恩によって生まれた身であり、ゆえに敦盛のために死ぬものだと思っている。一方で熊谷は、それでも殺したくないと迷い、殺したあとでさえも、苦しみ続けている。「悟った者に取り残された、悟れない者の悲しみ」が、車匿童子と「同じ」というわけです。普通の別れではなく、特殊な別れであり、あまり類例がない。
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この「車匿童子の悲しみ」は、『一谷嫩軍記』に初出のものではなく、先に『平家物語』の「維盛入水」に出てくるものです。しかし、海上が舞台となる「維盛入水」よりも、馬の登場する「組打」にこそ相応しく、作者の詩情を感じるところです。奇跡的な。