車匿童子の悲しみ
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    『一谷軍記』の「組打の段」に、「檀特山の憂き別れ、悉陀太子を送りたる車匿童子が悲しみも、同じ思いの片手綱」とあります。初めて見た人には意味が分からないでしょうし、また、床本ばかり何千回読み直してみても、分かるようにはならないと思うのです。そこで僭越ながら、私がちょっと解説させていただこうと思います。

    「いつか自分自身で分かりたいのだ!」という方は、ネタバレになりますので、読まないでくださいね。
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    「悉陀太子」というのは、お釈迦様のことです。若い頃にシッダルタというお名前で、漢字では「悉陀」と表記されます。小国ながら一国の王子様だったので「太子」というわけです。はた目からは恵まれた境遇と思われましたが、ある時に城を出て、出家してしまいます。そして、城を出る時に乗ってきた馬を、途中で城に帰させた。その馬を城まで連れて帰ったのが、舎人の車匿です。車匿と別れる際に、悉陀太子は、身に着けていた装飾品を車匿に渡し、修行のための質素な衣に着替えたということです。
    ここまでは、調べれば分かると思うのです。分からないのは、「車匿童子の何が悲しいのか」ということです。どれだけ親しい間柄だったのか知りませんが、親子でもないし、恋人でもないし、別れると言っても、悉陀太子はここで死んでしまうわけではありません。我が子を殺した熊谷の悲しみと同列に語られる意味がずっと分からなかった。悉陀太子と車匿童子は、何か特別な関係だったのでしょうか?それは知りようがありません。
    ずっと分からなかったのですが、平成27年2月、歌舞伎座での上演を見ていて、突然、私は分かったのです。「見ながら意味が分かる」というのは、すごい経験です。同じ経験は、あなたにも、いつか訪れるかもしれない。ネタバレになりますので、「いつか自分で分かりたい!」という方は、読まないでくださいね。
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    つまり悉陀太子という人は、ここから、悟りの境地に向かって歩み出したのだと思うんですね。彼は苦しみのない世界へ旅立っていったのです。そうして車匿は苦しみの世界に取り残された。
    熊谷直実の息子である小次郎も、ずるいことに、先に一人で成仏してしまったのです。死ぬのは嫌だと言っても良かった。逃げろと言った時に逃げても良かった。そうしてくれれば良かったのに、自分が死んだあとの父母のことが心配だと言う以外には、何の未練も示さない。すなわち、もう悟っている。自分は藤の方の恩によって生まれた身であり、ゆえに敦盛のために死ぬものだと思っている。一方で熊谷は、それでも殺したくないと迷い、殺したあとでさえも、苦しみ続けている。「悟った者に取り残された、悟れない者の悲しみ」が、車匿童子と「同じ」というわけです。普通の別れではなく、特殊な別れであり、あまり類例がない。
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    この「車匿童子の悲しみ」は、『一谷軍記』に初出のものではなく、先に『平家物語』の「維盛入水」に出てくるものです。しかし、海上が舞台となる「維盛入水」よりも、馬の登場する「組打」にこそ相応しく、作者の詩情を感じるところです。奇跡的な。
    | 歌舞伎 | 16:22 | comments(0) | - |
    檀特山
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      先日、国立文楽劇場の若手素浄瑠璃の会で、碩太夫さんが「組打の段」を語りました。私は仕事をしていたので聞けませんでしたが、「またの機会」なんて、いつあるのかなあ。

      同時期に、吉右衛門さんが、『一谷嫩軍記』を題材に新しく書き下ろした『須磨浦』の映像を配信なさいました。素晴らしい映像で、生の舞台を見てみたかったと思いましたが、無観客収録で誰も見ていなかったのだと思えば、まだ諦めもつくというものです。
      『須磨浦』は、30分弱に削ぎ落とされた映像ということで、どうやってカットを入れるのか興味がありました。「悉陀太子を送りたる、車匿童子の悲しみも」のくだりはカットされるのかなと思っていましたが、上演されました。見ている人は、どれくらいの人が分かったのでしょう。「客が分からなくても上演する」というのは、すごいことだなあと思いました。客に「分かりたい」と思わせるのが、名演というものなのかもしれません。
      一番重要な部分が一番難解、という事例ですが、確かに、檀特山から檀特山をカットしたら檀特山にならない。
      文楽ではあまり「檀特山」とは言わない気がする。
      二代目松緑さんは、「私の好きな役」という記事の中で『檀特山』をあげています。
      演じる役はすべて好きです。また好きでなければやっていられません。その中でも何が好きかと問われれば、熊谷の『陣屋』よりも『檀特山』でしょうか。ここには詩があります。
      演劇界増刊『歌舞伎の魅力』昭和53年より
      熊谷次郎直実は実在の人物ですが、Aが起こり、次にBが起こり、最後にCとなった、というように歴史上の事実を順番に述べていくだけでは、詩にならない。「檀特山」は、起こった出来事に対して作者が想像した夢であり、すなわち詩でありましょう。一番おいしい部分ですから、じっくり味わいたいものですね。
      | よもやま | 13:20 | comments(0) | - |
      うっ
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        1.5倍ではなく、3倍だった・・・。

        | よもやま | 12:48 | comments(0) | - |
        つづき
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          そうそう、業務委託と言えば、新国立劇場の運営業務は、日本芸術文化振興会から、新国立劇場運営財団に業務委託されているのです。もちろん随意契約です。

          日本芸術文化振興会には、評議員とか役員などがいますが、それらの人数のおよそ半分は、新国立劇場のことを主に考えている方々なのです。そういう人選になっています。
          新国立劇場にも、評議員や役員がいますが、それらの人々はもちろん新国立劇場のことしか考えていない。
          そうすると、新国立劇場のことを考えている人たちは、国立劇場のことを考えている人たちの1.5倍の人数になるというわけなのです。
          | よもやま | 11:41 | comments(0) | - |
          よもやま
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            国立劇場で働いている人々が全員国家公務員だと思っている人はいないと思いますが、「考えたこともない」という人がほとんどではないでしょうか。

            国立劇場を運営している日本芸術文化振興会は、独立行政法人なので、職員は国家公務員ではありません。「団体職員」とか「みなし公務員」などと呼ばれます。でも給料は国家公務員とほぼ同じ。私が就職した平成7年度の採用試験は、70倍の倍率だったと聞いています。「70人に1人採用」というのが、多いのか少ないのか、よく分かりませんが。日本芸術文化振興会の職員は現在、全部で367人だそうです。
            一方、警備、清掃、ビル管理のような仕事は、民間会社に業務委託されています。財源は税金です。
            ひとくちに「警備」と申しましても、警備員が体育会系出身の、訓練を受けたセキュリティポリスみたいな人から、定年退職後もまだ働きたい高齢者といった方まで、世の中にはいろいろな警備会社があるものです。
            国立劇場が業務委託先を選定する時は、入札が行われます。「こういう仕事があります」という公募が行われ、「うちの会社だったらいくらで請け負います」という入札が行われ、一番安い会社が落札する。選定の基準は「一番安い」という点です。それ以外の点を基準にしようとすると、突然、入札の手続きが何十倍にも複雑になり、処理しきれなくなるのです。
            「一番安い」という基準は、誰の目から見ても不審がない。それ以外の基準には、「賄賂」が入り込む可能性があるのでしょう。
            私は大人になってから知って驚いたのですが、民間企業って、賄賂を貰っても罪にならないんですね?
            国立劇場は公共の施設なので、公平性や透明性が重視されるんですよね。
            一般的に言って、良い商品は高額ですし、安い商品は「それなり」です。
            「ああ、この会社は駄目」と思っても解約できないし、逆に「この会社がいい!」と思ってもそこを選べない。
            業務の委託だけでなく、物を買ったり借りたりする時も同様です。使っているパソコンも「一番安かったパソコン」です。あなたパソコンを買う時に値段の安さだけで選びますかな。
            国立劇場に出演する方々は、もちろん入札で決めているのではなく、随意契約ですケド。財源はチケット代とか貸し劇場収入とかです。ただし、財源がチケット代などの自己収入であっても、よほどの理由がなければ、随意契約はできません。
            契約監視委員会というものがあり、調達に不正がなかったか、チェックしています。こういうチェックの作業が、するほうも、されるほうも、年々増えていき、もうずっとチェックしている、人々はみな不正をチェックするために働いているのではないかと思うほどです。でもチェックの作業は、すでに行われたことをチェックしているだけなので、新しいものは生み出さない。
            入札の場合、Aという会社が100万円で落札したとすると、次の年の入札ではBという会社が90万円で落札する。その次の年にはCという会社が80万円で落札する。そうするとAやBはもう入札には来ない。毎年やっていると、入札者数が減り、ついには1社だけになり、だんだん落札率が高くなる、それは当然のことです。そうすると上のほうから「なぜ入札者がこんなに少ないのか」「なぜ落札率がこんなに高いのか」「説明しろ」と言われたりする。困りました。
            ところが新国立劇場は、わりと、好きな相手と契約できるみたいなんですよね。国立劇場よりもだいぶ多額の税金が投入されているのに、何もチェックされていないですし。新国の「これいただくわ方式」と呼ばれています。公演プログラムの印刷デザイナーとか、どうやって選定しているのでしょうか。国立劇場のプログラムにはデザイナーは存在しません。デザイナーは値段で選べないから。「新国立劇場は財団法人なので」「多額の寄付をいただいているので」「芸術監督が決めたので」よく分からない。実際のところ、全然分からないのです。どなたか説明してくださいますか。私が不満に思わないとでも思っているのでしょうか。
            (この話は以前にも書きましたか?)
            | よもやま | 11:08 | comments(0) | - |
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