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能『鵺』あれこれ
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    能『鵺』の中に、源頼政が和歌の才能に秀でていた話が出てきます。文武両道の走りでしょうか。

    頼政が鵺を退治したあと、宇治の大臣が頼政に歌を詠みかける。
    宇治の大臣「ほととぎす 名をも雲居に上ぐるかな」
    それに対して、頼政が下の句を付ける。
    源頼政「弓張月のいるにまかせて」
    これによって頼政は、「弓矢をとって双びなきのみならず、歌道もすぐれたりけり(『平家物語』)」と感心されたのだそうな。
    私はずっと、この歌の良さが分からなかったのです。果たして、そんなに絶賛されるほどの下の句でしょうか?
    ところが今日、ようやく私にも、この歌の素晴らしさが理解できたのです。(弓張月記念日)
     ◎ ◎ ◎
    頼政のこの歌は、『和漢朗詠集』に基づいていると思うのです。
    三尺剣光氷在手 一張弓勢月当心 陸■
    三尺の剣の光は氷手にあり 一張の弓の勢は月に心当る
    さんじゃくのけんのひかりはこおりてにあり いっちょうのゆみのいきおいはつきむねにあたる
    三尺の剣の冴えた光は氷を手に握ったようであり、また、一張の弓を引きしぼった勢いは、半月が胸の前にかかるようである。
    ◇月心に当る 弓を引いた時、弓の形が半月に似ているのでいう。
    この漢詩は、『和漢朗詠集』の「将軍」の項目に記載されています。頼政は、ここから「弓張月」という考えを取ってきていると思います。そして、同じ「将軍」の項目のうち、すぐ次に出てくる漢詩がこちらです。
    雪中放馬朝尋跡 雲外聞鴻夜射声 羅虬
    雪の中に馬を放て朝に跡を尋ぬ 雲の外に鴻を聞いて夜声を射る
    ゆきのうちにうまをはなてあしたにあとをたずぬ くものほかにかりをきいてよるこえをいる
    管仲は雪の中で道を見失ったが、朝に老馬を放ち、その後を尋ねて道を知り、更■は雲の上に雁の声を聞いて夜その声をあてにして射落とした。
    多年の経験に基づく将軍の技術・智恵を賦す。
    新潮日本古典集成『和漢朗詠集』より
    どちらかと言えば、こちらの漢詩の第二句のほうが、「鵺退治」の状況に似ています。頼政が「弓張月」と口にした時、周囲にいた人々は、絶対にこちらの「雲外聞鴻夜射声」を連想したと思うのです。頼政は、実際には歌の中に詠み込んでいないことを、言外に表現している。更に、それが『和漢朗詠集』の「将軍という項目立て」によって繋がっている。自分自身も将軍である、つまり帝に認められているという自負。この和歌の技巧に名称が付いていないらしいことが残念なほどに、実に見事な歌だと思います。
    | 能楽 | 05:32 | comments(0) | - |
    能楽の再開
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      JUGEMテーマ:能楽

      新型コロナウイルスのために公演の中止が続いていますが、そろそろ能楽の公演が再開されるようです。舞台上では、地謡の人数を減らす、地謡がマスクをする、などの対策が取られるらしい。むかしの能舞台の絵画を見ますと、地謡の人数は、そのときどきによって違うようでしたけれども・・・。ちゃんと聞こえるんでしょうかねえ?
      オリンピックに合わせて、豪華出演者による特別公演が企画されていたのですが、オリンピックの延期が決まっても、コロナ終息祈願としてそのまま上演されるそうです。(能楽協会主催、7月下旬〜8月上旬、国立能楽堂)
      ちょっとチェックしてみたところ、まだチケットが残っていますね。私も東京に住んでいたら行くところなのですが・・・。能・狂言を見たことがない人は、この機会に是非見てみると良いと思います。事前に詞章を読んでおいたほうが楽しめます。
      私はこの4月に東京から大阪に引っ越して、関西の能を見ることを楽しみにしていたのですが、座席が減らされる関係で、新参者はチケットが取れないみたいです。
      | 能楽 | 23:47 | comments(0) | - |
      新作能
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        JUGEMテーマ:能楽

        私が能を見始めて10年くらいが経ちますかねえ。
        新作能というのは、歌舞伎や文楽の新作よりもたくさん作られていると思いますが、私が不思議なのは、『信長』『秀吉』『家康』といった有名人の能がないことですね。特に『信長』は、例の「人間五十年」という幸若舞を能で見せてほしいと思うじゃないですか。あとは『千姫』『淀殿』とか。私が知らないだけですかね。新作はあまり再演されませんものね。
        | 能楽 | 23:02 | comments(0) | - |
        能『是界』あれこれ
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          JUGEMテーマ:能楽


          このようなことを書くのは抵抗がありますが、現代の日本人って、基本的に馬鹿だと思うんですね。駅の構内や電車の中は、ずっと注意事項のアナウンスだらけですよね。歩きスマホはやめてくださいと何回言っていても、全然やめない。ほぼ白痴という感じですね。最近は注意事項に英語まで加わって、それでなくても長大なアナウンスが倍の長さになっています。「黄色い線までさがって」とか「スタンバック」とか「スタンドクリア」とか、そんなことまで英語で言う必要があるのかなあと思います。外国から来た人はビックリするのではないでしょうか。日本人が馬鹿であることを外国まで喧伝しているみたい。

          こんな小話があります。欧州の歌劇場が日本で引っ越し公演を行った時、楽団員がオケピットで開演を待っていると、何やら日本語の場内放送で、長い詩が朗読されている…と思ったら、長い注意事項だった。

          歌舞伎座の開演前に、「2階、3階最前列の手すりに物を置かないでください」というようなアナウンスが流れますよね。「そんな馬鹿が存在するの?」と思うわけですが、これまで手すりに飲み物を置いた人を私は実際に3人見たことがあり、そのうちの1人は向こう側へ落っことしていました。新しい歌舞伎座が建った時、きっと「絶対に物が置けない形状の手すり」に変更されたに違いないと期待していたら、そうはならなかったのでした。

          しかし歌舞伎座は、アナウンスや、係員が直接注意して回るなどの処置をしているので、むかしより客のマナーが多少は向上したと思いますね。

          客席で飲食をしてよいのは歌舞伎、文楽、寄席くらいで、たいていの劇場は飲食禁止ですよね。ところが、客席内で飲食をする客が本当に増えました。ペットボトルなら許されると思っている人が多いようなのですが、なぜペットボトルならOKだと思うのか、全くの謎です。しかも上演中に飲む馬鹿も多いですね。なぜ、駄目とされていることを平気でするんでしょうかねえ?

          駅の構内を歩いていると、よく矢印が書いてあるじゃないですか。矢印の逆側を歩いている人がすごく多いですよね。それは、人がいなくてガラガラの状態だったなら好きなところを歩けばいいけれど、人が来たら、どけばいいじゃないですか。そのまま歩いていく人が非常に多い。矢印のほうを歩いている人が、矢印と反対の側を歩いている人のために道をあける理由は何もないですよね?そのまま突進して来る人がすごく多いです。

          先日、能の『是界〔ぜがい〕』を初めて拝見しました。たいへん面白い作品でした。「不動明王」が、なぜ「不動」という名前なのか、作中で説明されていたのです。今まで誰も教えてくれなかった。不動明王は歌舞伎に関係が深いですし、能にもたびたび出てきますし、お馴染みの明王なのですが、名前の意味を知らなかったのです。長年、知らずに過ごしてきた言葉の意味を知るというのは、実に衝撃的な体験ですね。

          『是界』は、中国から天狗が日本にやって来て、油断している人を、魔の世界に引き入れようとする話なんです。舞台上の天狗がじっと座ったまま、客席にいる私のほうを見つめている。「これからあなたを魔道に引き入れますよ」などと言いながら。
          そうするとまず、不思議なことに、「私はそちら側の人間ではない」と思うのです。誰でも、そのように思うのではないでしょうか。「自性清浄〔じしょうしょうじょう〕」と言って、人間の本来の心は清浄なのだそうです。「そこから動かない」から不動明王は「不動」と名づけられた、と能の詞章に書かれています。

          そして、詞章の中には「若作障碍即有一仏魔境〔にゃくさしょうげそくういちぶつまきょう〕」とも書かれています。この部分について、野上豊一郎編の『解註謡曲全集』の脚注では、「座禅観念の時、もし魔が現れて障碍をなさば、即ち一仏魔の境ありと観ぜよ。一仏魔の境とは魔仏一如、魔境即仏境をいう」と説明されています。
          つまり、誰にでも「魔が差す」ということがあります。そうして魔の世界に引き入れられてしまう。けれど魔が差した時に、「魔の世界と仏の世界は同じであると思いなさい」と書かれているのです。そうすることによって、あちら側へと心が動かずにすむ。不動の心を保つことが出来るのです。
          「煩悩即菩提〔ぼんのうそくぼだい〕」という言葉があります。「即」というのは「イコール」という意味です。「煩悩(悩みや苦しみ)」と「菩提(悟り)」は、正反対のもののように思えますが、実はイコールなのです。苦しいから悟りたいと思うのであり、苦しくない人は永遠に悟れない。

          矢印のほうを歩いていても、逆のほうを歩いていても、大した違いはないのかもしれない。それで結局、「自分はどちらの側にいたいと思うのか」ということだと思います。


           

          | 能楽 | 00:26 | comments(0) | - |
          筒井筒
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            JUGEMテーマ:能楽

            能『井筒』を見ていて、いつも不思議なのは、「筒井筒」という言葉です。
            井戸は、「井」という漢字の形状から想像されるように、四角形のものが多いと思います。しかし、「筒」という言葉からは、円筒形が思い浮かびます。丸い形の井戸もわりと見たことがあるように思うのです。「井筒」で通じるところを、わざわざ「筒井筒」と言っているのだから、その井戸は丸い形ではないかと思うのですが、能の舞台に出てくる作り物は四角い井戸なのでした。
            「筒井筒」は枕詞であり、それ自体には意味がないのだ、という話も聞いたことがありますが、どうなのでしょう。
            筒と聞くと○、井と聞くと□の形が頭によぎり、筒井筒井筒と聞くと○□○□○と、まるで宇宙語を聞いているような気分になるのでした。(そこが作者の狙いかもしれません?)
            | 能楽 | 07:00 | comments(0) | - |
            能『井筒』
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              JUGEMテーマ:能楽

              今日は、友枝昭世先生の『井筒』を拝見いたしました。前の席のお兄さんは座高が高いし、左隣のおじさんはずっとガサガサしているし、右隣のおばさんは鼾をかいて寝ているしで、環境は悪かったのですが、能の公演っていつもそんな感じ。この季節に『井筒』や『野宮』を見られるのは、大人の最高の楽しみですね。
              若い人には、『井筒』はちょっと難しいと思うんです。「げに何事も思い出の、人には残る世の中かな」「待つ事なくてながらえん」などの詞章が身に沁みる年齢にならないと。

              この能には「月」という言葉が何度も出てきます。
              「夜→闇→迷い→死後」とか、「月→闇を照らす→救い→仏の慈悲」などのように、連想が繋がっていかないと、何を言っているのかよく分からないのではないでしょうか。

              例えば「これこそそれよ亡き跡の、一村薄の穂に出づるはいつの名残なるらん」という箇所で、ここに業平の体が埋められて、それがやがて土となり、草となり、次の年に生え替わり、また年を重ねていくという時間の移ろいや、彼の心は一体どこへ行ってしまったのだろうというようなことに想像が及ばないと、なかなか楽しめないのではないかと思うのです。

              年齢を重ねますと、井戸の周りに人が集まって来たり、桜の周りに人が集まってきたりして生まれる縁、そういうものがおぼろげながらも目に見えるようになってきますね。

              変わったのは月なのか自分なのか、変わらないのは月なのか自分なのか、どちらなのでしょうか・・・。
              | 能楽 | 19:38 | comments(0) | - |
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