梅ヶ枝が三百両の調達に困っていると、どこからか「二八十六で文付けられて〜」という歌が聞こえてきます。この歌について、岩波書店の『日本古典文学大系』の頭注では「当時の俗謡。十返舎一九の『東海道中膝栗毛』の中でも謡われている。」と説明されています。
それですっかり、この芝居の初演の頃に人々がよく歌っていた歌を、「挿入歌」として物語の中に組み込んだものだと思い込んでいたのです。しかし、それは間違いであることが判明しました。
◎
『東海道中膝栗毛』は、江戸時代にたいへん人気のあった滑稽本ですけれども、現代ではあまり読まれていないのではないでしょうか。長いので私も読む気はありませんが、いまはインターネット時代ですので、該当部分を検索してみました。すると「三編下 見附より浜松へ」の中で、確かに喜多さんがこの歌の文句を口にしています。しかし喜多さんは、この歌を『ひらがな盛衰記』から知ったという口ぶりなのです。俗謡からではなく。
◎
改めて考えてみますと、
『ひらがな盛衰記』の初演 1739年
『東海道中膝栗毛』の刊行 1802〜1814年
『東海道中膝栗毛』のほうが60年以上もあとのことなので、「当時の俗謡」の根拠にはなりえないと思います。
◎
インターネットで調べた『東海道中膝栗毛』の該当箇所に、「この文句については万象亭の『反古籠』に説が見える」という語句解説がありました。
万象亭〔まんぞうてい〕の書いた『反古籠〔ほうぐかご〕』は、インターネットでは出てこないと思いますが、『続燕石十種』という本に収められているので、図書室で借りてみました。
◎
『反古籠』
無間鐘
平仮名盛衰記無間鐘の段のめりやすに、「二八十六で文付られて、二九の十八で迷すこころ、四五の二十なら一期に一度、わしや帯解かぬ、といふは古きめりやすに無き文句にて、其道の数寄人は甚不審する事なり、或人曰く其新浄瑠璃出ざりし前に、長崎より堺へ大黄来りしを、大阪の薬種やの入札せし事を作りたる竹田出雲の戯筆なり、はじめ大黄一斤十六匁に入れたるが、二八十六で文付られてなり、夫より十八匁に付た所どうか売さうな塩梅なり、二九の十八迷すの心なり、夫でも売ぬ故二十匁に付たれども荷も解て売らず、四五の二十なら、一期に一度わしや帯とかぬ、夫にて相談が調かねたりしが、遂に直段極まり、三百両にて買取たるが黄金印大黄なり、夫を千前軒戯に歌に作て入たるなりと、並木蛙柳が云けるとぞ、右を筆太夫に語りければ、御蔭にて彼歌が分りましたと悦び、蟻鳳甚感伏せしも二十年餘の昔なり、
◎
【現代仮名遣い】
『反古籠』
無間の鐘
『ひらがな盛衰記』無間の鐘の段のめりやすに、「二八十六で文付けられて、二九の十八で迷わす心、四五の二十なら一期に一度、わしゃ帯とかぬ」というは古きめりやすに無き文句にて、その道の数寄人は、はなはだ不審する事なり。
ある人いわく、その新浄瑠璃出ざりし前に、長崎より堺に大黄来たりしを、大阪の薬種屋の入札せし事を作りたる竹田出雲の戯筆なり。
はじめ大黄一斤十六匁に入れたるが「二八十六で文付けられて」なり、
それより十八匁に付けたところ、どうか売りそうな塩梅なり、「二九の十八迷わす心」なり、
それでも売らぬゆえ二十匁に付けたれども荷も解いて売らず、「四五の二十なら一期に一度、わしゃ帯とかぬ」、
それにて相談が調いかねたりしが、ついに値段極まり、三百両にて買い取りたるが「黄金印大黄」なり。
それを千前軒、戯れに歌に作りて入れたるなりと、並木蛙柳が云いけるとぞ。
右を筆太夫に語りければ、お陰にてかの歌が分かりましたと悦び、蟻鳳はなはだ感服せしも、二十年余の昔なり。
◎
【要約】
『ひらがな盛衰記』無間の鐘の段のめりやすに、「二八十六で文付けられて、二九の十八で迷わす心、四五の二十なら一期に一度、わしゃ帯とかぬ」と出てくるが、元歌が分からず、その道に詳しい人たちも不思議に思っていた。
ある人が言うには、『ひらがな盛衰記』が作られるより前、長崎を経由して堺に漢方薬が輸入されてきた時、大阪の薬屋のあいだでオークションにかけられたことがあった。そこから発想して竹田出雲がこの歌を作ったのだった。
はじめ薬一斤あたり十六匁で入札があった。これが「二八十六で文付けられて」の歌詞となった。
それから一斤あたり十八匁で入札があり、ちょっと売りそうなそぶりだった、これが「二九の十八迷わす心」の歌詞になった。
それでも売らないので、二十匁の高値を付けたが、荷を解く様子さえもない、これが「四五の二十なら一期に一度、わしゃ帯とかぬ」の歌詞になった。
そこで競売が終了しかけたが、ついに「まとめて三百両」で買う人が現れ、話がまとまり、やがて大阪の街で売らるようになった薬があの「黄金印大黄」である。
その出来事から竹田出雲が空想して、歌を作って『ひらがな盛衰記』に挿入したものだと、並木蛙柳が言っていたそうだ。
このことを関係者に話したところ、「やっと分かった」とみんな喜んだが、それももう20年以上前のことになる。
◎
「大黄〔だいおう〕」というのは、有名な漢方薬で、お腹の薬、下剤ですね。現在では、便秘の薬として使われていますが・・・。落語『地獄八景亡者戯』に出てきますので、落語が好きな人はみんな知っています。
むかしは食べ物に賞味期限など記載されていないのですから、自分で判断するしかなく、変な物を食べてしまう人も多かったのではないでしょうか。変な物を食べてしまったら、すみやかに出すしかありません。
漢方というのは希少な輸入薬ですから、高価なのです。相場が決まっておらず、売るほうは高く売りたい。買うほうは安く買いたい。少しずつ値段が上がっていく。
それを竹田出雲が恋の歌に転換したのだそうです。競りの歌を、恋の歌に。
「黄金印大黄」というのは、きっと誰でも知っている有名な薬だったのでしょう。
◎
この書名『反古籠〔ほうぐかご〕』という名称は、書き損じの紙を入れておく籠、つまり「ごみ箱」のことであり、「たいした内容ではありませんが」という謙遜の意味が込められていると思います。
本当の話なのか眉唾物ですが、少なくとも「古きめりやすに無き文句(元歌が誰にも分からない)」というのは本当のことなのではないでしょうか。そうでなければ、この逸話自体が成立しませんから。
書いた万象亭〔まんぞうてい〕という方は、江戸後期の戯作者で、平賀源内の弟子だそうです。
◎
この話を聞いて「やっと分かった」と喜ぶ人が、どれくらいいますかねえ。