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『ひらがな盛衰記』「神崎揚屋の段」あれこれ2
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    梅ヶ枝が三百両の調達に困っていると、どこからか「二八十六で文付けられて〜」という歌が聞こえてきます。この歌について、岩波書店の『日本古典文学大系』の頭注では「当時の俗謡。十返舎一九の『東海道中膝栗毛』の中でも謡われている。」と説明されています。

    それですっかり、この芝居の初演の頃に人々がよく歌っていた歌を、「挿入歌」として物語の中に組み込んだものだと思い込んでいたのです。しかし、それは間違いであることが判明しました。
     ◎
    『東海道中膝栗毛』は、江戸時代にたいへん人気のあった滑稽本ですけれども、現代ではあまり読まれていないのではないでしょうか。長いので私も読む気はありませんが、いまはインターネット時代ですので、該当部分を検索してみました。すると「三編下 見附より浜松へ」の中で、確かに喜多さんがこの歌の文句を口にしています。しかし喜多さんは、この歌を『ひらがな盛衰記』から知ったという口ぶりなのです。俗謡からではなく。
     ◎
    改めて考えてみますと、
    『ひらがな盛衰記』の初演 1739年
    『東海道中膝栗毛』の刊行 1802〜1814年
    『東海道中膝栗毛』のほうが60年以上もあとのことなので、「当時の俗謡」の根拠にはなりえないと思います。
     ◎
    インターネットで調べた『東海道中膝栗毛』の該当箇所に、「この文句については万象亭の『反古籠』に説が見える」という語句解説がありました。
    万象亭〔まんぞうてい〕の書いた『反古籠〔ほうぐかご〕』は、インターネットでは出てこないと思いますが、『続燕石十種』という本に収められているので、図書室で借りてみました。
     ◎
    『反古籠』
    無間鐘
    平仮名盛衰記無間鐘の段のめりやすに、「二八十六で文付られて、二九の十八で迷すこころ、四五の二十なら一期に一度、わしや帯解かぬ、といふは古きめりやすに無き文句にて、其道の数寄人は甚不審する事なり、或人曰く其新浄瑠璃出ざりし前に、長崎より堺へ大黄来りしを、大阪の薬種やの入札せし事を作りたる竹田出雲の戯筆なり、はじめ大黄一斤十六匁に入れたるが、二八十六で文付られてなり、夫より十八匁に付た所どうか売さうな塩梅なり、二九の十八迷すの心なり、夫でも売ぬ故二十匁に付たれども荷も解て売らず、四五の二十なら、一期に一度わしや帯とかぬ、夫にて相談が調かねたりしが、遂に直段極まり、三百両にて買取たるが黄金印大黄なり、夫を千前軒戯に歌に作て入たるなりと、並木蛙柳が云けるとぞ、右を筆太夫に語りければ、御蔭にて彼歌が分りましたと悦び、蟻鳳甚感伏せしも二十年餘の昔なり、
     ◎
    【現代仮名遣い】
    『反古籠』
    無間の鐘
    『ひらがな盛衰記』無間の鐘の段のめりやすに、「二八十六で文付けられて、二九の十八で迷わす心、四五の二十なら一期に一度、わしゃ帯とかぬ」というは古きめりやすに無き文句にて、その道の数寄人は、はなはだ不審する事なり。
    ある人いわく、その新浄瑠璃出ざりし前に、長崎より堺に大黄来たりしを、大阪の薬種屋の入札せし事を作りたる竹田出雲の戯筆なり。
    はじめ大黄一斤十六匁に入れたるが「二八十六で文付けられて」なり、
    それより十八匁に付けたところ、どうか売りそうな塩梅なり、「二九の十八迷わす心」なり、
    それでも売らぬゆえ二十匁に付けたれども荷も解いて売らず、「四五の二十なら一期に一度、わしゃ帯とかぬ」
    それにて相談が調いかねたりしが、ついに値段極まり、三百両にて買い取りたるが「黄金印大黄」なり。
    それを千前軒、戯れに歌に作りて入れたるなりと、並木蛙柳が云いけるとぞ。
    右を筆太夫に語りければ、お陰にてかの歌が分かりましたと悦び、蟻鳳はなはだ感服せしも、二十年余の昔なり。
     ◎
    【要約】
    『ひらがな盛衰記』無間の鐘の段のめりやすに、「二八十六で文付けられて、二九の十八で迷わす心、四五の二十なら一期に一度、わしゃ帯とかぬ」と出てくるが、元歌が分からず、その道に詳しい人たちも不思議に思っていた。
    ある人が言うには、『ひらがな盛衰記』が作られるより前、長崎を経由して堺に漢方薬が輸入されてきた時、大阪の薬屋のあいだでオークションにかけられたことがあった。そこから発想して竹田出雲がこの歌を作ったのだった。
    はじめ薬一斤あたり十六匁で入札があった。これが「二八十六で文付けられて」の歌詞となった。
    それから一斤あたり十八匁で入札があり、ちょっと売りそうなそぶりだった、これが「二九の十八迷わす心」の歌詞になった。
    それでも売らないので、二十匁の高値を付けたが、荷を解く様子さえもない、これが「四五の二十なら一期に一度、わしゃ帯とかぬ」の歌詞になった。
    そこで競売が終了しかけたが、ついに「まとめて三百両」で買う人が現れ、話がまとまり、やがて大阪の街で売らるようになった薬があの「黄金印大黄」である。
    その出来事から竹田出雲が空想して、歌を作って『ひらがな盛衰記』に挿入したものだと、並木蛙柳が言っていたそうだ。
    このことを関係者に話したところ、「やっと分かった」とみんな喜んだが、それももう20年以上前のことになる。
     ◎
    「大黄〔だいおう〕」というのは、有名な漢方薬で、お腹の薬、下剤ですね。現在では、便秘の薬として使われていますが・・・。落語『地獄八景亡者戯』に出てきますので、落語が好きな人はみんな知っています。
    むかしは食べ物に賞味期限など記載されていないのですから、自分で判断するしかなく、変な物を食べてしまう人も多かったのではないでしょうか。変な物を食べてしまったら、すみやかに出すしかありません。
    漢方というのは希少な輸入薬ですから、高価なのです。相場が決まっておらず、売るほうは高く売りたい。買うほうは安く買いたい。少しずつ値段が上がっていく。
    それを竹田出雲が恋の歌に転換したのだそうです。競りの歌を、恋の歌に。
    「黄金印大黄」というのは、きっと誰でも知っている有名な薬だったのでしょう。
     ◎
    この書名『反古籠〔ほうぐかご〕』という名称は、書き損じの紙を入れておく籠、つまり「ごみ箱」のことであり、「たいした内容ではありませんが」という謙遜の意味が込められていると思います。
    本当の話なのか眉唾物ですが、少なくとも「古きめりやすに無き文句(元歌が誰にも分からない)」というのは本当のことなのではないでしょうか。そうでなければ、この逸話自体が成立しませんから。
    書いた万象亭〔まんぞうてい〕という方は、江戸後期の戯作者で、平賀源内の弟子だそうです。
     ◎
    この話を聞いて「やっと分かった」と喜ぶ人が、どれくらいいますかねえ。
    | 文楽 | 02:42 | comments(0) | - |
    『ひらがな盛衰記』「神崎揚屋の段」
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      今年の2月は『ひらがな盛衰記』の「神崎揚屋の段」が上演されますね。滅多に上演されない作品なのに、珍しく。

       ◎
      ●令和6年2月2日(金)15時開演 日本橋社会教育会館ホール(東京都中央区)※素浄瑠璃
      ●令和6年2月18日(日)〜19日(月)1泊2日 伊豆長岡温泉 三養荘(静岡県伊豆の国市)
      ●令和6年2月23日(金・祝)15時開演 フェニーチェ堺 大スタジオ(大阪府堺市)※素浄瑠璃
       ◎
      伊豆長岡の公演は、旅館での宿泊と食事がセットになっていて、料金表の1番安い等級が110,500円、1番高い等級が220,000円!それが完売!マジか!
       ◎
      私は豊竹嶋太夫師匠の大ファンでしたから、当たり役の「神崎揚屋」は特別な作品ですね〜。あまり聞く機会がないけれど、好きなんです。竹本織太夫師匠と坂東玉三郎さんが共演した舞台も拝見しました。歌舞伎座で中村福助さんが演じたのも見ました。良かったですねえ。
      でもまあ、不思議な内容ですよね。最初にあらすじを聞いた時、そんな話があるものなのかと驚きました。大学生の頃、歌舞伎研究会の先輩が教えてくれたんですけどね。 
      ちょっと浮世離れした物語ですね。「現実にありそうな話」もいいけれど、「現実になさそうな話」のほうが、信じられないほど感動しちゃったりすることがありますよね。
      | 文楽 | 22:44 | comments(0) | - |
      やってみる文楽
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        大阪の国立文楽劇場では、今年度から体験教室「やってみる文楽」という企画をやり始めたのですが、12月23日(土)に第3回を予定しています。この回は桐竹勘十郎師匠を講師にお迎えして、人形遣い体験の回です。10名限定で、若い応募者優先の催しですが、どしどし応募してくださいね。当日は私も会場で立ち働いているはずです〜。

        | 文楽 | 17:05 | comments(0) | - |
        仏果を得ず
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          お芝居を見ていて、すべてのせりふが聞き取れなくても十分に楽しめるのですが、その一方で、聞き取れないことが悲しかったり悔しかったりすることもあると思います。

           ◎
          シェイクスピアの芝居など、早口すぎて分からない時がありますよね。日本人の演じるシェイクスピアは、早口すぎると思いませんか?早さの競争をしているみたい。
          シェイクスピアの芝居は、わりと原作が尊重されているのではないかと思いますが、せりふのカットや場面の省略はたくさん行われます。
          「省略したほうが楽しめる」ということは、当然あると思いますけれど。
           ◎
          三浦しをんさんの著書に『仏果を得ず』という小説があります。この書名は、人形浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』六段目で、原郷右衛門が早野勘平に向かって言うせりふ「仏果を得よ」に基づいています。
          文楽は字幕も出ますし、床本も売られていますので、聞き取れない人は少ないと思いますが、仏果という言葉は日常会話には登場しない。初めてという人も多いでしょう。
          「仏果を得よ」というのは「成仏しろよ」ということだと思いますが、ここは物語の中で極めて重要なせりふなので、知らない言葉「仏果?」で止まってしまうと、残念なことになってしまいますね。
          泉下の作者が現れて「その解釈は間違っています」と言ってくれるわけでなし、パッと自分の頭の中で、適当に意味がつかみ取れたら楽しめると思うのです。あとで「やっぱり違ってた」と思ってもいいわけですし。他の人の考えと違っていても構わないのですから。楽しめた者勝ちです。
           ◎
          「仏果」というのは、辞書には「修行によって得た成仏という結果」と書かれていますけれども、勘平は別に仏道修行をしていたわけではありません。「苦労して討ち入りの元手となる貴重な金を手に入れることが出来たのだから、これで満足して成仏しろよ」というような意味でしょうか。金がなかったら討ち入れない。しかし勘平にとっては、金を手に入れることが目的ではなく、討ち入ることが目的だったので、まだ成仏できないわけです。
           ◎
          私が思いますに、そもそも「仏果」という言葉は、能によく出てくる「一仏成道、観見法界、草木国土、悉皆成仏」を表していると思うのです。
          成仏する、悟りを開くというのは、すなわち「苦しみのない状態になる」ということでしょう。たいていは、死ねばもう苦しまなくてよくなります。しかし生きているうちに悟りを開くのは難しい。はるか西の彼方に、苦しまなくていい世界があると噂に聞くけれど、本当にそんな世界があるのでしょうか。この苦しみの世界に生まれて「もう苦しまなくていい」なんてことがあるのか。
          しかし、そういう世界に到達した人が確実に1人はいるのです。それはもちろんお釈迦様です。「1人出来たのだから、私たちだって出来るのじゃない?」というのが「仏果」ではないでしょうか。
          | 文楽 | 13:09 | comments(0) | - |
          よもやま
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            インターネットで、そのときどきに興味のある事柄を検索する、ということがあると思います。

            先日「冥途の飛脚」でネット検索してみたところ、忠兵衛がダメ男だから見ている観客もダメ男なんだろう、みたいな感想を書いている人がいて、何て短絡的な頭なのだろう!とビックリしたのでした。
            共感だけが芝居を見る理由ではありませんけどねえ・・・。
            | 文楽 | 10:33 | comments(0) | - |
            はかない記憶、はかない世界
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              今年の中之島文楽は面白かったですよお、プロジェクションマッピングが改良されていて〜、去年のは「これってプロジェクションマッピングなんですか?」って感じだったじゃないですかあ、などと私が話しておりましたところ、「去年の中之島文楽はプロジェクションマッピングじゃないです」「それってTTホールでやったCOOL文楽showちゃいますか」と言われますた。

              えっ、あれって中之島じゃなかった?ああ、確かにTTホールだった。じゃあ中之島では何をやったんだっけ?と思ったら「道行二題」ということで、『曽根崎』と『妹背山』の道行が上演されていたのでした。混同してたのね。って言うか「文楽×講談×現代美術」の類似企画だから混同もしますわな。
              記憶って、はかないものですね・・・。
              | 文楽 | 09:35 | comments(0) | - |
              三浦しをん著『仏果を得ず』
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                ずっと前から読もうと思ったまま読んでいなかった本『仏果を得ず』を、ついに読みました。

                思えば、読もうと思ったまま読んでいない本がたくさんたまっています。いわゆる「積ん読」ってやつですね。
                有吉佐和子著『一の糸』さえもまだ読んでいません。(思っていたよりだいぶ長編で、活字が細かい!)
                 ◎
                さて三浦しをん著『仏果を得ず』ですが、実際の文楽の世界はこんなふうではない気がするものの、読み物として楽しく読めました。文楽という狭い特殊性と、仕事・恋愛・青春といった普遍性とが、うまく絡み合っていて。
                ところで、この小説は8つの章から成っていて、各章には文楽の作品名が付けられています。小説の物語内容が、文楽の作品内容と密接につながっている構成です。
                その中で「この文楽の作品は、そんな話ではないのでは?」という不思議な個所がいくつかありました。例えば、『本朝廿四孝』「勘助住家の段」に関する記述で、「本舞台では檜竹東吾の遣うお種が、壊さんばかりの勢いで戸を引き開け、泣いている小さな峰松を引ったくるように抱きあげた」とありますが(文庫版p185)、それは「壊さんばかりの勢い」ではなく、本当に壊して外へ出ていくのです。
                私が初めて見た文楽は『本朝廿四孝』の通し公演であり、文楽を見て初めて泣いたのが、この場面でした。衝撃的な場面で、鮮烈に覚えています。ああ〜簑助師匠のお種は本当に素晴らしかった。全ての人類に見てもらいたかった。
                 ◎
                そして一番の疑問は『ひらかな盛衰記』「松右衛門内の段」に関する記述です。(p135)
                およしには、死んだ前夫とのあいだに幼い息子がいるのだが、ひょんなことから、その息子は義仲の遺児、駒若君と取り違えられてしまう。ところが樋口は、血はつながらないとはいえ自分の息子が、主君の息子と入れ替わっていることに、まったく気づいていない。兎一郎が樋口を「バカじゃないか」と評する所以も、そのあたりにあるのだろう。忠義大事のくせに、肝心なところで間が抜けていると、語っていて健もあきれる。「およしコレ見や、坊主めが居眠るは、幸い父が添乳せん、ねんねんころろ」と樋口は、実は駒若君であるとは夢にも思わず、幼い息子を抱いて別室に入っていく。
                私が思うには、樋口は、槌松が他の子と入れ替わっている事実は認識しています。しかし、他人の子ながら我が子と同様に可愛がっている。入れ替わった子が駒若君であることには気づいていません。これまで駒若君の顔を知らなかったのなら、仕方がないではありませんか。
                入れ替わった他人の子の名前が分からない、それはその子が名乗らないから、身分を隠しているからでしょう。言葉が話せないわけではないのに言わないのですから。
                名前が分からないから「槌松」と呼び、その子も権四郎を「ぢい」と呼び、およしを「母様」と呼び、樋口を「父様」と呼び、仮初めながら親子として過ごしていたわけだ。
                 ◎
                最後に樋口が駒若君に向かって「父と言わずに暇乞い」と言い、別れの言葉を促します。この幼子は、樋口の子ではないからこそ命を助けてもらえるのですから、父と呼んではいけないのです。いままで父と呼ばせていたのに、父と呼ぶことを禁じられて、では駒若君は何と言うのかなと思えば「樋口さらば」です。これは主君が家臣に対してかける言葉、つまり駒若君は幼いながら主従の関係を理解していたということでしょう。この「樋口さらば」という別れの言葉を聞く樋口の心情が想像できませんと、作品の面白味が伝わらないように思うのです。
                 
                改めてつくづく思うのは、同じ舞台を見ていても、観客は同じものを見ているわけではない、ということです。作品中に知らない言葉が混じっている割合も人によって全然違うでしょうし、別のものを見ているんですよね。別の物語を。
                | 文楽 | 12:43 | comments(0) | - |
                中之島文楽
                0

                  中之島文楽を見に行ってきました〜。

                  プロジェクションマッピングが去年よりも格段にパワーアップしていて、楽しめました!
                  『増補大江山』を見るのは初めてだったかも・・・。
                  旭堂南海先生の「講談による作品紹介」も良かったです。
                   ◎
                  中之島公会堂の前は工事中で、1年前とほぼ同じ進捗状況でした。あの工事はいつになったら終わるのでしょう・・・。
                  | 文楽 | 00:16 | comments(0) | - |
                  『壇浦兜軍記』あれこれ(岩永だけが知っている)
                  0

                    私が『壇浦兜軍記』の舞台を生で初めて見たのは、国立劇場の歌舞伎公演、平成9年1月のことでした。阿古屋は玉三郎さんでした。

                    文楽では、平成16年1月に国立文楽劇場で見たのが最初です。嶋太夫・清介・簑助という配役で、本当に夢のような美しい舞台でした。当時、私は国立文楽劇場で働いており、この「阿古屋琴責」の舞台は何回か見ましたけれども、公演期間の終盤に嶋太夫師匠のお声に若干の疲れが感じられ、「あの嶋さんがねえ」「阿古屋というのは、よほどえらい役なんだねえ」などと幕内で話題になったものでした。
                    今年1月の文楽公演で、呂勢太夫さんが阿古屋と「すしや(前)」の2役をお勤めになり、どちらも重量級だけに、何とすごい配役だろうかと思いました。ま、「いま語らずしていつ語る」という境地なのかもしれません。本人が決めているわけじゃないですケド。
                    文楽って、1役でも2役でも、出演料は同じなんですね。歌舞伎もですか。オペラですと、出演時間が長くなると出演料が割り増しになるそうですが。ワーグナーとかね。
                     ◎
                    「阿古屋琴責」を初めて見た時、なぜ阿古屋はこれで解放されるのかなあと不思議に思いました。阿古屋は本当に景清の行方を知らないのでしょうか?「私はそれを知っている」ということは証明できても、「私はそれを知らない」ということを証明することは不可能ではないでしょうか。
                    阿古屋自身も無理と言っています。(「知らぬことは是非もなし」「いっそ殺して」)
                    しかし重忠は、その証拠を掴まないと役目上、困ってしまう。
                    わたくしも長い年月にわたってこの「阿古屋琴責」を見ているうちに、「阿古屋は本当に景清の行方を知らないのだな」と確信するようになりました。
                    言ってみれば「どうして」と騒いでいる岩永と同じ心であった私が、いつしか重忠と同じ心に変わっていたのでした。
                    景清の行方を知っているのだったら、あのような歌を歌うはずがない。「これが浮世の誠なる」なんていう、諦めの歌。
                    好きでわかれ歌うはずもない。
                     
                    ところが、どうしたことでしょうか。阿古屋のせりふや、重忠のせりふは分かるようになっても、岩永の言っていることがサッパリ分からない。別の国の人ではないかと思うくらいです。
                     ◎
                    しかし、年の功と申しますか、岩永のせりふの意味が私にも分かるようになってまいりました。皆様におすそ分けいたします。
                     ◎
                    こりゃ何じゃ興がるは。責め道具、責め道具となんぞ厳しいことかと思えば、エエ聞こえた。拷問にことよせ、自分の慰み、気晴らしをやらるるな。天下の政道を取り裁く決断所での琴三絃。神武以来ない図なほたえ。実に誠、世界の有り様、天に口なし人を以て言わしむとは今思い当たった。阿古屋めが懐胎。もしもやこの子が女の子なら、琴でやがんがん三絃で。アア何とやらと京中が謳いしはこの前表。この上のばれついで。ちょちょげ、なんどもよござんしょがの。ハハハハハ。
                     ◎
                    この岩永のせりふ(詞)ですけれども、前半部分は分かると思いますが、後半が何のことなのか、よく分かりませんでした。「だいたいこんなことを言っている」という雰囲気しか分からなかった。
                     ◎
                    せりふの中の「もしもやこの子が女の子なら、琴でやがんがん三絃で」の部分は、当時、京の街で実際に流行っていた歌の一節と思われます。「当時」というのは、この作品が初演された当時ということです。そして、流行っていた当時でさえ、歌詞の意味が誰にも分からなかった。しかし、岩永には、いま分かったのです。阿古屋が楽器で拷問を受ける、この現在の状況を予言した歌(前表)だったのだと。
                    そして「ちょちょげ」という言葉も、京の街で実際に流行っていた歌の一節であり、誰も意味が分からなかったところが、岩永にだけは分かったわけなのです。もちろん「(個人的趣味の拷問をさらにエスカレートさせたような)すごく卑猥な意味合い」を岩永は掴み取ったのですが、掴み取ったのは岩永だけであり、もともと誰も意味が分からない言葉だったので、私たちにも分からなくて当然なのです。
                    物語の作者というものは、観客がそれを理解すると思って作品を書いているわけですが、「ちょちょげ」は分からなくていい言葉なのだと思います。「岩永だけが分かった」という話なので。
                     ◎
                    世の中には、歌の意味を「分かる人」と「分からない人」がいるという物語でした。
                     ◎
                    【付け足し】
                    文楽座は、竹本座・豊竹座から続く芸脈を連綿と繋いでいる劇団ですから、ひょっとして「ちょちょげ」の意味を江戸時代から引き継いでいるのではないかと思ったのですが、私が調査したところ、それは伝わっていないようでした・・・。
                    | 文楽 | 14:20 | comments(0) | - |
                    文楽の舞台機構
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                      フェニーチェ堺で年に数回、文楽の公演をやっているじゃないですか。ここの小ホールは、盆廻しのある床を設置できるようになっているんですね。文楽でしか使わなさそうな設備なのに。

                      何回か文楽公演を見たのですが、とても舞台が見やすい劇場です。文楽がいつでもこのくらい見やすかったら最高なのに、と思ったくらいです。
                       ◎
                      ここの文楽公演は解説が付いていて、毎回テーマが違うみたいですが、文楽の大道具に関する解説だった時がありました。
                      文楽の舞台って、演技エリアが前と奥の2つに分かれてるんですね。
                      国立文楽劇場や国立劇場の文楽公演では、「船底〔ふなぞこ〕」と言って前を下げているのですが、フェニーチェ堺は前を下げるのではなく、奥をセリで上げているのだそうです。それで見やすいのかもしれません。でも大道具の転換が大変だと言っていました。
                      歌舞伎では「二重〔にじゅう〕」と言って、大道具によって奥を高くすることが多いですね。奥が御殿や館で高くなっていて、前の舞台面が庭や座敷。
                      前を下げるのは文楽だけなんです。他の演劇ではしない。
                      文楽の大道具って、中ががらんどうなんですね。人形遣いが動き回るので。
                      人形は宙に浮いているので、建物の床の上にいるように見えるけれど、実は床のない不思議な建物なのです。横から見ると分かると思いますが。
                      つまり人形遣いは大道具の上に乗っているわけではなく、舞台面に立っているだけなので、実は高くなっていないのです。だから前を下げないと高低差がつかない。
                      船底の設備がない劇場ですと、セリで奥を上げることになるのですが、そうすると演目の途中で大道具を転換することはできないわけなんです。「筍堀り」など上演できません。
                      だから地方公演などは、限られた演目しか上演できないのですね。場面転換の少ない演目とか。
                       
                      今年の10月までで国立劇場が建て替えに入り、東京の文楽公演は他の劇場で行われることになります。いまのところ決まっているのが、シアター1010と日本青年館の2か所。もっとたくさんの劇場が候補に挙がっていましたが、なかなか条件が折り合わないみたいです。
                      そもそも文楽ほどハードな公演はありません。午前11時に開演して午後9時に終演。20日間くらい連続公演。1日に何度も舞台転換があって。文楽と歌舞伎くらいですよね。普通の劇場ではなかなか上演できないんです。
                      出演者は文楽技芸員が83人。普通の演劇では、登場人物は10人以内のものが多いです。
                      床に盆廻しが設置できないと、ご高齢の技芸員は床までたどり着けないので、出演できない。
                      建て替え中は、時代物の通し上演などは絶対無理だと思う。
                      初代国立劇場のさよなら公演のあいだに見ておいてくださいね。
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