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日本の美術館について
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    JUGEMテーマ:美術鑑賞

    「横文字」という言葉があるのに対し、「縦文字」という言葉がないことからも分かるように、文字は縦で書くことが普通であり、横のほうが特殊なことでした。しかし、インターネットの普及以降、急速に横書きが増えてきているように感じます。それは時代の流れですから仕方ありません。また、電話番号や年月日などの数字の表記は、横書きのほうが読みやすいと思います。写真のキャプションも、横書きのほうが便利な時がありますね。
    と言いつつも、小説、新聞、漫画は縦書きであり、その形式は変わらないのではないかと思います。青空文庫は横書きですけれど。
    1つの印刷物の中に、縦書きと横書きが混在している場合がありますが、その配分や必然性を意識的に制御しないと、雑然とした仕上がりになってしまいます。
    ところで私は以前から思っていたのですが、日本の美術館の順路は右から左へ進む形式、作品の解説は縦書きであるべきと強く確信しています。
    西洋の美術館は、建物自体が美しいことが多い。美しい部屋の中で、美しい作品を見ることができます。しかし、その建物を建設するために多くの人々が血の涙を流したのですから、日本の美術館に同じことを求めるわけにはいきません。私が美術館に求めるのは、作品が本来持っている美しさを100%堪能させてほしい、ということです。照明がきちんと明るく当たっていて、作品の細かいところまで見える、ということです。そうでない美術館が多いのです。そして、日本の美術作品の場合、順路が右から左であることが非常に重要です。日本の美術には時間の流れがあり、四季の図屏風であれば右が春、左が冬です。絵巻物であれば右から左へ物語が進んでいきます。もちろん、展示室内の全てを右から左への順路に設定することは不可能なわけですが、優秀な学芸員であれば、仕方なく左から右への順路になってしまう部分には、時間の流れと関係のない工芸品を置いておくなど、工夫のしようがあると思うのです。
    日本の美術館をいろいろ巡っていると、意外にも左から右へ進む形式の美術館が多いのです。設計者が無能だったとしか言いようがありません。
    西洋美術では、文字の流れに従って左から右へ見なければならない作品は「受胎告知」くらいのものではないでしょうか。それほど多くありません。欧米の美術館は空間が広く、どこから順番に見なければいけないという制約が少ないのが一般的ですが、それでも私の記憶では、パリのオルセー美術館、ニューヨークのメトロポリタン美術館は、主に右から左へ進む順路でした。つまり、どちらでもいいわけでしょう。しかし、日本美術は絶対に右から左でないと困るのです。
    作品のそばに付けられる解説も、順路に沿って縦書きであったほうが読みやすいと思います。
    東京国立博物館はもう駄目です。運営が本当に駄目なのです。作品が泣いているのが私には見えます。良いのは浮世絵部門くらいです。そこへ行きますと京都国立博物館は、まだ「さすが京都」と思えるだけの運営をしています。
    | 美術 | 12:23 | comments(0) | - |
    博物館入り
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      JUGEMテーマ:美術鑑賞

      たまに、歌舞伎俳優の発言で、「このままでは歌舞伎が博物館入りしてしまう」というのを見かけます。「変化を止めて、世間の関心から遠ざかる」というような、歌舞伎の現状に対する危機感を表した言葉です。特に、むかし十八代目の中村勘三郎さんがよく言っていました。しかし、私は「博物館の何が悪いのだろう」と思っていました。私は博物館が好きで、いろいろ見てまわっています。博物館は、美しいものを、ほぼ、むかしのままで見させてくれます。美のタイムマシーン、夢の空間です。むかしだったら、作品を見られる人は内輪の関係者だけで、とても私などは見せてもらえなかっただろうと思います。大変ありがたいことだと感謝しているのです。けれど歌舞伎の場合は、博物館と違って、ちょっと油断したら、すぐに舞台水準が劣化してしまうではありませんか。博物館のことを馬鹿にできた筋合いではないのです。博物館の美は永遠なのですから。
      日本人は、博物館に対して、マイナスの印象を持っている人がいるようですね。それは、東京国立博物館の責任が大きいと私は思うのです。美しくない正面入口、黒いアスファルト、薄汚れた溜池。みすぼらしい調度品、見づらい展示ケース、ちらつく照明。ジメジメとして寒々しい展示室。恥ずかしくて絶対に外国人には見てほしくない。別に、貴族の宮殿のようなキラキラの博物館を望んでいるわけではありません。小綺麗で、作品の魅力を十全に堪能させてくれる展示方法が確保されていれば、それで満足なのです。運営している人たちは、オルセー美術館や、メトロポリタン美術館、ロンドン・ナショナル・ギャラリーといった外国の著名な博物館を見たことがないのでしょうか?あるいは日本の美術館でも、山種美術館、出光美術館などは、作品が本来持っている魅力を最大限、引き出すための努力をしています。
      東博の古筆の展示が、左から右へ流れる導線になっているなど、ちょっと考えられない事態だと思うのです。また、本館1階18室のショボい油絵の展示を見ていると、「これが日本を代表する油絵かと思われたらどうしよう」と、実に情けない気持ちになります。なぜ、展示作品があんなに少ないのでしょう。そのくせ、遊んでいる空間はたくさんあるのです。仏像以外の彫刻は、なぜあんなに軽視されているのでしょうか。企画展には力を注ぐのに、所蔵作品展はあまりの手抜き。完全に配分を誤っています。早急な改善を望みます。
      | 美術 | 22:31 | comments(0) | - |
      アーティゾン美術館その2
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        先日、開場したてのアーティゾン美術館に行ってきたわけなのです。むかしのブリヂストン美術館と全然違う美術館になっていて、いろいろと新鮮でした。
        以前は「いつでも同じ名画が見られるのんびりした美術館」という印象だったのですが、今後の予定を見ると、企画展示にかなり力を入れていくようです。今回は開場記念ということでコレクション展でしたが、だいぶ面積も広くなったようですし、企画展に比重を移すみたいですね。(また、そうしないと日時指定予約制の意味がなさそう)
        当日券は、次の時間帯まで入場を待たされる上に、事前予約より400円も高いので、「気が向いた時にふらりと行ってみる」というような選択肢はありえないと思います。
        ちらしや館内表示など、全体的に、英語表記が日本語表記よりも優先されていて、外国人観光客を狙っているようです。ARTIZON MUSEUMという名前は、最初「アルチザン・ミュージアム」と読むのかな?と思ったのですが、そうではなく造語なのだそうで、読めないし覚えられないし、ましてや書けないし、当分は「新しくなったブリヂストン美術館」とか「むかしのブリヂストン美術館」で済ますことになりそうです。
        | 美術 | 22:31 | comments(2) | - |
        アーティゾン美術館
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          きのう開場したばかりの、アーティゾン美術館に行ってきました。むかしのブリヂストン美術館が、新築工事を機に館名を変更したものです。

          2015年から休館していたそうです。もう、そんなに経つんですね。ブリヂストン美術館は、わりと好きな美術館でした。東京には珍しい種類の美術館でしたよ。つまり東京の美術館というものは、基本的に企画展を見に行くものであり、常に新しい作品を求めて、限られた会期のあいだを狙って、好奇心を高ぶらせながら混雑の中を歩き回るものなのです。しかしブリヂストン美術館は違う。いつも同じような場所に同じような名画が展示されていて、混雑しておらず、あいた時間にふらっと行って、ゆったりと見る。企画展示のスペースもあったけれど、それはメインではない。こんにちはジョルジェット、また会えたね。西洋では、そちらのほうが普通でしょう。でも東京では珍しかった。同じ名画を何度も見る、のんびりした楽しみ。
          同じ種類の美術館としては国立西洋美術館のコレクション展がありますが、こちらは個人的には展示作品の中に何度も見たくなるような作品がありませんし、建物も美しくないし、1〜2回も見れば十分と思います。
           ◎ ◎ ◎
          新しく開場したアーティゾン美術館は、日時指定の事前予約制(スマホの画面で入場)なのですが、私はスマホを持っておりません。出かける前にパソコンでチェックしたら売り切れではなかったので、当日券で入ろうと思って出かけました。そうして1時40分に着いたら、2時まで入れないからお待ちくださいと言う。えっ、20分も待たなきゃいけないんですか。
          そしてやっと2時になってエスカレーターを上って行ったら、セキュリティチェックでもう一度並び直し、エレベーターを待ち、どんだけ面倒くさいのかと。1時間半ずつ時間を区切ることに、一体どういう利点があるのかと。
           ◎ ◎ ◎
          時間指定の美術館と言えば、「最後の晩餐」を所蔵するミラノの教会とか、ローマのボルゲーゼ美術館に行ったことがあります。待たなくていいので便利でした。でもそれは、放っておいたら大混雑が予想される美術館だからでしょう。
           ◎ ◎ ◎
          アーティゾン美術館は、2時に入場したら、コインロッカーが混み合い、セキュリティチェックが混み合い、セザンヌが混み合い、モネが混み合い、同じ人々が同じタイミングでぞろぞろ移動していく感じでした。(ボルゲーゼ美術館は順路がなくて、おのおの好きな部屋へ散らばる仕組みでしたが)
           ◎ ◎ ◎
          「あいた時間にちょっと寄ってみる馴染みの美術館」という愛らしい一面は消滅していました。
           ◎ ◎ ◎
          展示作品では、日本の印象派・藤島武二の「屋島よりの遠望」「浪(大洗)」が良かったです。私は藤島武二の風景画がすごく好きなのです。でも藤島武二の人物画は全然好きじゃないんですよね。どうしてなのでしょう。
           ◎ ◎ ◎
          久しぶりに見る絵が懐かしかった。

          JUGEMテーマ:美術鑑賞

          | 美術 | 00:02 | comments(0) | - |
          考える人
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            世の中には不思議なことがたくさんあるものです。

            先月、京都国立博物館に行ったのですが、庭園の一番いいところに1つだけ彫刻が立っていて、それがロダンの「考える人」なのです。国立の博物館の庭に1つだけある彫刻がロダン。それも、東京の国立西洋美術館に置いてあるのと同じ「考える人」。いったい誰が決めたのでしょうか?他には西洋の作品なんて全然置いていない博物館なのに。彫刻って言うか、ブロンズ像って要するに粘土細工の複製ですよね?同じものをいくつでも作れるんですよね?もっと他に置く作品はないのでしょうかねえ?

            | 美術 | 07:00 | comments(0) | - |
            三十六歌仙絵あれこれ4
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              今秋、美術界では、京都国立博物館の展示「佐竹本三十六歌仙絵」が話題でした。しかしこの作品は、外国からの旅行者が見たとしたら、良さが全く分からないだろうと思います。パッと見て「まあ綺麗」というような作品ではないと思うのです。まず、「この和歌は素晴らしい」と思うことが必要で、「こんなに素晴らしい和歌を詠んだ歌人はすごい」となり、「普通の人間とは思えない」となり、「特別な人、仙人に違いない」となり、その結果「どんな姿だったのか見てみたい」という欲望が生じた人だけが楽しめる絵なのではないでしょうか。

              何かと言えばインバウンド、インバウンドと外国語対応を求められる昨今ですが、今回の京博の図録は英語の解説がほとんどなくて、すがすがしかった。ものを選んで多言語対応すればいいと思うんですよね。美術でも演劇でも、外国人向きのものと、そうでないものがありますから。

              図録を執筆した人は、美術の研究者であって、和歌の研究者ではないので、和歌に関する解説は通り一遍という印象でした。

              私は、歌人の馬場あき子さんが書いた「佐竹本三十六歌仙絵巻 歌詞解説」(昭和59年・美術公論社)を読んで予習したのですが、さすが伊達に文化功労者じゃないなという感じがしました。
              佐竹本には、藤原朝忠の「逢ふことの絶えてしなくばなかなかに人をも身をもうらみざらまし」という歌が書かれており、これは百人一首でお馴染みの歌ですけれども、「この世にセックスというものがなかったとしたら」という意味だと言うのです。いえ、馬場さんの文章では「情交」と書かれていて、もっと別の言い回しでしたが、意味としては、そのようなことが書かれていたのです。業平の「世の中にたえて桜のなかりせば」の歌と同じようなとっぴな発想だと。平安時代の貴族にとって、「逢うこと」イコール「セックス」だということは教わったことがありましたが、「この世にセックスというものがなかったとしたら」というのは考えたことがなかった。「あなたに逢うことがなかったとしたら」だと思っていました。これまで誰も教えてくれませんでしたから。衝撃的な発想でした。
              考えたことがなくても、誰しも子供の頃には、そういう世界に生きていたわけですが。
              私の学生時代、授業で「セックス」なんて口にする先生は、予備校の小論文の先生くらいしかいなかったような気がするなあ。

              | 美術 | 07:00 | comments(0) | - |
              三十六歌仙絵あれこれ3
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                JUGEMテーマ:美術鑑賞

                 

                いま京都国立博物館で『佐竹本三十六歌仙絵』が展示されていますけれども、これはもう何年も前からずっと「見たい」と切望していた企画でした。ところが直前に概要が発表されてみれば、31枚しか揃わないと言う。今回揃わなかったら、もう永遠に揃わないでしょう。前期・後期で展示替えがあることは仕方ないにしても、誠に残念な展示でした。(文字通り「念が残る」という意味)
                所蔵者が不明になってしまったのか、所蔵者は分かるけれど貸してもらえなかったのか、貸してもらえなかったとすれば、それはなぜなのか。今回展示されなかった作品の解説がほしいところです。
                | 美術 | 07:00 | comments(0) | - |
                三十六歌仙絵あれこれ2
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                  JUGEMテーマ:美術鑑賞

                   

                  「佐竹本三十六歌仙絵」は、もともと2巻の絵巻だったものが切断されて、37幅(36人+住吉大明神)の掛け軸となりました。絵巻だった時は縦にシワが入ったと思うんですね。そして掛け軸になったら今度は横方向にシワが入るでしょう。図録を見ると、縦にも横にもシワが入っているのが分かります。これが油絵だったら、顔料が剥がれ落ちて、ボロボロになっていますよね。いま、保管する時は、一体どのように保管しているのでしょうかねえ?
                  | 美術 | 07:00 | comments(0) | - |
                  三十六歌仙絵あれこれ
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                    JUGEMテーマ:美術鑑賞


                    京都国立博物館で『佐竹本三十六歌仙絵』を見てきたのですが、どうしても歌仙の見分けがつかないんですよね。

                    昨年、出光美術館で歌仙絵の展示があった時、柿本人麻呂、在原業平、斎宮女御くらいは見分けられるかなと思ったのですが、業平は意外と難しいということが判明しました。鈴木其一の絵ですと、業平は業平格子を着ているのですぐに分かるのですが(笑)。

                    西洋の絵画ならば、描かれているのが誰なのか分かるように、「アトリビュート」などと言って、目印が付いていることが多いじゃないですか。(有名なのは「車輪が描かれていたらカタリナ」とか)
                    三十六歌仙は、そのような目印がないように思うのです。図録に「見分け方」が解説されているのかなと期待していたのですが、ありませんでした。

                    図録には、絵の説明として「彼の視線の動きには、花を惜しむ切ない思いが込められている」とか、「悶々とした苦悩に耐える内面を描出している」などと書かれているのですが、私にはそのような表情は全く読み取れません。それぞれに、歌を詠んだ瞬間の感情が描き分けられているらしいのですが、単なる「おすまし顔」にしか見えないのでした。

                    ずっと見ているうちに、分かるようになるのでしょうか?

                    まあ、絵のすぐそばに文字で正解が書かれているわけですけれど・・・。

                    | 美術 | 23:11 | comments(0) | - |
                    京都国立博物館「佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」
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                      JUGEMテーマ:美術鑑賞


                      京都国立博物館で開催されている「佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」を見てきました。5時間くらいかけて、じっくりと作品を鑑賞することが出来ました。会場内は混んでいましたが、事前に心配していたほどではなく、入場待ちもありませんでした。

                      「歌仙」と言えば、まず『古今和歌集』の「仮名序」に名前の挙げられた「六歌仙」があります。しかしこのうち文屋康秀、喜撰法師、大伴黒主は、藤原公任が選んだ「三十六歌仙」には出てきません。「三十六歌仙」は、一人一人の家集が編纂されているそうですが、文屋、喜撰、黒主は家集を編めるほどの数の歌が伝わっておらず、むしろ「なぜ六歌仙に入っているのか」のほうが不思議ですね。
                      喜撰法師はたった一首で六歌仙の仲間入り、ウハウハですね。(羨ましい)
                      不思議と言えば、藤原定家、西行法師が三十六歌仙に入っていないなあと思ったら、選者の藤原公任よりも後の時代の人でした。

                      「絵巻切断事件」などと話題を煽っていますけれども、『継色紙』『升色紙』『寸松庵色紙』『高野切』等々、むかしから茶人は名品を切り取りまくっています。作品を蔵の中に眠らせるよりも、飾って皆で楽しみたかったのですね。『佐竹本』は、そういう行為の「最後の例」ということになるのでしょうか。

                      絵巻が切断されたことよりも、「紀貫之」の「詞」の部分が下手な字で修正されていることのほうが衝撃的でした。

                      展示としては、金に飽かせた豪華な表装も見どころの一つ。「坂上是則」「源順」の表装の美しさには目を見張りました。

                      『佐竹本三十六歌仙絵』のうち、好きな作品を一つだけもらえるとしたら、どれを選びますか。私なら、藤原敦忠「あひ見ての のちのこころにくらぶれば」がいいかな。


                       
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